誰の役にも立たない話〜親友〜

世の中には、どうしても相容れない人がいる。

私にも別に話をしたわけでもないが、どうしてもこの人だけは仲良くなれない。
と思う人が存在している。

逆に自分と波長が合い、一緒にいて楽しかったりなんでも話せてしまうような人もいる。

今日はそんな人の話。

私が思う親友という存在の話です。
そんなわけなので、誰の役にも立たない話になります。

まず私が思う親友の定義とは・・・。
定義するものでもないと思うのですが、まあそこはご愛嬌で。

定義は・・・1つ。

  • 波長が合わなくなっても関係が崩れない

これだけです。

人は生きていく中で、成長をします。
それは単に子供から大人へ体つきが変わるという話ではなく、どちらかというと考え方や生き方が変わっていくという意味の成長です。

この成長には個人的にはプラスしかないと思っていますが、他人からするとマイナスな成長の仕方にも見えることがあると思います。

これまで仲の良かった人がいて、考え方も似ていて話をしていて楽しいと思っていたけれど、最近は話が合わない・・・なんか辛い。
こういうことは、比較的あるように思います。

でもそれは、どちらかが・・・あるいはどちらともがステップアップしているからです。

考え方が変わるというのは、ごく自然なこと、それに応じて生き方が変わるのもごく自然なことだと思います。

だから、これまで仲の良かった人と縁が切れる。
その代わり、また新たな縁に恵まれて結ばれます。

ただ、親友という存在はこの限りではなく、自分がステップアップして考え方、生き方が変わっても、それを認めて受け入れてくれる。
波長が合わなくなっていても、違うステージに行ったんだなとその違いを受け入れてくれる。
それが、親友という存在であると私は思っています。

あくまで、私が定義する親友ですけどね。

そのため、生涯で親友と呼べる存在に出会えない人もいるかのもしれません。
そして親友の数は1人いれば充分です。
むしろ1人でいい。

そんな存在が10人・20人いるって人は・・・個人的には考えられません。
いるとすれば凄いことですし、大変だとも思います。

そんな親友との出会いが生涯であるならば、とても幸せです。

私にも、そんな親友がいました。
過去形なのは、もうすでにこの世にいないから。

唯一無二の存在。
まあ・・・人はそれぞれ唯一無二なんですけど(笑)

それぞれ親友の定義はあると思いますが、自分が思う親友と呼べる存在がいるのならば大切にしてください。

以上!

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